東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)95号 判決 1984年9月28日
東京都北区王子二丁目六番一〇号
原告
奈良豊子
右訴訟代理人弁護士
小山久子
東京都北区王子三丁目二二番一五号
被告
旧被告越谷税務署長事務承継者王子税務署長
金子晃
右指定代理人
須藤典明
同
岩谷久明
同
大森幸次郎
同
松元弘文
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 越谷税務署長が昭和五七年三月二日付で原告に対してした昭和五四年分贈与税決定処分及び無申告加算税賦課決定処分並びに昭和五五年分贈与税決定処分及び無申告加算税賦課決定処分はいずれも無効であることを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 越谷税務署長は、昭和五七年三月二日原告に対し、昭和五四年分贈与税の税額三九万円及び無申告加算税三万九〇〇〇円並びに昭和五五年分贈与税の税額二八〇万五〇〇〇円及び無申告加算税二八万〇五〇〇円の各賦課決定処分(以下「本件処分」という。)をなし、同日、右処分の通知書を原告の住所及び居所が明らかでない場合であることを理由に公示送達の方法によつて送達した(以下「本件公示送達」という。なお、本件処分後原告の住所移転により王子税務署長が被告の地位を継承したので、以下越谷税務署長を「旧被告」という。)。
しかし、本件処分は以下の理由により無効である。
2 本件公示送達には左のとおりの違法があり、本件処分はその通知書が原告に送達されていないこととなる以上無効である。
(一) 原告は、昭和五六年二月その住所を東京都北区西ケ原四丁目五二番一四号三〇一号(以下「西ケ原の住所」という。)から、埼玉県越谷市大字平方一〇八番地一四(以下「旧越谷の住所」という。)に移転し、同月二二日付で住民登録の転入手続をとつたが、、更に昭和五七年二月には既に住所を西ケ原の住居に再度移していた。原告は、西ケ原の住所へ移転するについては、隣家の山田宅に郵便物について問い合わせがあつたときには連絡先が明らかになるように実家の住所及び電話番号を知らせておいた。
(二) 旧被告は本件処分の契機となつた別紙物件目録記載の不動産(以下「本件不動産」という。)について、固定資産課税台帳を当たれば、その所有者である原告の住所として西ケ原の住所が記載されていることを知ることができ、したがつて越谷市が昭和五六年度の固定資産税の納税通知書を右住所に送付したか否か及びその結果を照会しえたはずである。現に右通知書は昭和五七年二月五日以前に西ケ原の住所にいる原告に到達し、同月八日に納付手続もとられていたから、旧被告は右調査をすれば原告の住所を知ることができた。
(三) また旧被告は旧越谷の住所の附近住民に照会すれば容易に原告の住所を知りえたし、原告の住民登録原票を確認すれば、原告の本籍と、原告が戸籍筆頭者で、世帯主ではあるが、その親族は同一世帯に入つていないことが判明するのであるから、更に戸籍の附票を参照すれば西ケ原の住所を住所とする原告の長男及び北区王子を住所とする次男のそれぞれの住所を知ることができ、これにより問い合わせれば、原告が長男の元に転居していることが判明したはずである。
(四) しかるに、旧被告は単に郵便送達による書類が一回宛先不明で戻されてきたことから、形式的な調査を行つたのみで社会通念に照して課税庁として通常期待される程度の調査も実施せずに住所居所を知りえないとして本件公示送達をなしたもので、その違法であることは明白である。
3 本件処分は、原告が昭和五四年一二月二三日に購入した本件不動産の代金一三五〇万円のうち一〇五〇万円を訴外石川和助(以下「訴外石川」という。)から贈与されたと推定してなされたものであるところ、原告は次のとおり訴外石川からは九〇〇万円しか贈与を受けていないから、本件処分の瑕疵は重大かつ明白であり、本件処分は無効である。
すなわち原告は本件不動産の購入代金一三五〇万円のうち二五〇万円を昭和五四年一二月二三日、六五〇万円を昭和五五年一月一五日それぞれ訴外石川から贈与された。右金員により手附金二五〇万円及び中間金八〇〇万円の一部を支払い、さらに原告の友人訴外佐藤礼子から借受けた一五〇万円をもつて中間金の残部に充当し、原告の預金及び手持金三〇〇万円をもつて同年二月三日最終金を支払つた。したがつて、原告は右九〇〇万円以外に訴外石川から贈与を受けた事実はない。
原告は本件処分に係る贈与税等を未だ納付していないから、被告に対し旧被告のした本件処分はいずれも無効であることの確認を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認め、主張は争う。
2 同2の事実のうち、原告が昭和五六年二月旧越谷の住所に転入したこと、同五七年二月五日当時原告が同所に居住していなかつたこと、越谷市の同五六年度の固定資産税納税通知書が原告の転居先(西ケ原の住所)に送付されたことは認める。その余は知らない。
3 同3の事実のうち、原告が本件不動産を購入したこと、原告がその主張の日に訴外石川から二五〇万円贈与されたこと及び原告が昭和五五年一月一五日に訴外石川から贈与を受けたことは認めるが、同日の受贈額が六五〇万円であることは否認し(八〇〇万円である。)、その余の事実は知らない。主張は争う。
三 被告の主張
1 本件公示送達手続は左のとおり適法になされたものである。
(一) 越谷税務署職員柳葉正(以下「柳葉職員」という。)は、昭和五七年二月五日原告に対し、贈与税の申告をなすよう指導すべくその住民登録上の住所地である旧越谷の住所所在の原告宅に赴いたが、原告は同所に居住していなかつた。
(二) そこで、柳葉職員は、左のとおり原告の所在の調査を行つた。
(1) 昭和五七年二月五日、原告宅近隣の佐々木嘉義宅、山田長利宅及び土屋健二宅を訪問し、原告の居住の有無及びその転居先を質したが、いずれからも原告の所在を知る手掛りを得ることはできなかつた。
(2) また、同日、越谷市役所の市民課及び税務課に赴き、原告の住民登録原票の確認並びに市民税、固定資産税等地方税の課税及び納付状況等を調査したが、原告の住民登録原票には住所として旧越谷の住所が登録されたままであつたほか、原告が同市に転入してきたのが昭和五六年二月で、前記の原告宅につき自己のために所有権移転登記を経由したのが昭和五五年一月二五日であつたため、地方税の課税の事績がないことが確認されただけで、原告の転居先を知るための手掛りは得られなかつた。
(3) 更に、昭和五七年二月一八日、越谷郵便局に赴き、原告から同局に転居届が提出されているか否かを調査したところ、届出はなされておらず、原告宛の郵便物は配達不能との理由で発信者に返送したことを確認したにとどまり、同所においても原告の転居先を知るための手掛りは得られなかつた。
(4) 同日、原告の町内会である平方会野川第八班の渋谷会長及び白鳥前会長に会つて原告の転居先等を尋ねたところ、転居先は知らないが、原告には中学生位の子供がいたとの話があり、柳葉職員は直ちにその地区の通学校である越谷市立平方中学校に赴き、「奈良」姓の生徒の在校の有無を確認したが、該当する者は発見されなかつた。
(5) また、同日、旧越谷の住所を所轄する越谷警察署せんげん台派出所に赴いて原告の居住関係、転居先、勤務先等を調査したが、原告の住所を確認することはできなかつた。
(6) 翌一九日、越谷、松伏水道企業団に対し、原告の転居先等について照会したが、原告から昭和五六年一〇月一三日に水道給付停止の届出がなされていてその転居先は不明である旨の回答しか得られなかつた。
(7) 右の経緯で、旧被告は、原告の所在を確認することができなかつたので、昭和五七年三月二日本件処分の通知書の送達を国税通則法一四条一項により公示送達に付したのである。
(三) ところで、国税通則法一四条一項は、同法一二条の規定により送達すべき書類について、その送達を受けるべき者の住所及び居所が明らかでない場合には、、税務署長その他の行政機関の長は、その送達に代えて公示送達をすることができる旨規定し、課税処分の通知についても公示送達に付し得ることとしているのであるが、右にいう送達を受けるべき者の住所及び居所が明らかでない場合とは、およそ考えられるあらゆる方法による調査を尽くしてもその者の住所及び居所が判明しない場合をいうのではなく、具体的事案に即して、社会通念上、課税庁として通常期待される程度の方法及び内容による調査を実施してもなおその者の住所及び居所が知れない場合をいうものと解するのが相当である。
しかして、本件において柳葉職員のした前記の調査は、社会通念に照らして課税庁として通常期待される程度の方法及び内容による調査として欠けるところはないのであつて、そのような調査を直前に実施したにもかかわらず原告の住所及び居所その他書類を送達すべき場所のいずれもが判明しなかつたために、旧被告は、やむを得ず国税通則法一四条一項を適用して本件公示送達を行つたものである。
したがつて、旧被告が原告に対してした本件公示送達は適法である。
(四) 次に、原告は、昭和五六年度の固定資産税納税通知書が越谷市長名で原告の転居地に送付されたから、旧被告においても当然これを了知し得べき状況にあつたと主張する。
しかしながら、右納税通知書が原告の転居地に送付されたのは、むしろ偶然によるものである。すなわち、越谷市における昭和五六年度の固定資産税課税台帳の点検作業は同年一月下旬から二月にかけて行われたところ、原告は同年一月六日に西ケ原の住所に転出していたため、越谷市における同年度の原告の固定資産税の課税関係はすべて西ケ原を住所とする「西ケ原の奈良豊子」としてコンピユーター管理されており、その結果偶々原告は、同年二月下旬に越谷市に再転入したにもかかわらず、右納税通知書は西ケ原に送付されたのであつて、これは越谷市長が原告の転居先を了知していたことによるものではない。
そして、越谷市において右のような管理方法がとられていたため、柳葉職員が越谷市役所の市民課において原告の住民登録が旧越谷の住所にあることを確認したうえ「越谷の奈良豊子」として原告の固定資産税の課税事績について調査したものの「越谷の奈良豊子」という原告の課税事績はない旨の回答しか得られなかつたのである。しかして、柳葉職員は越谷市においてそのような管理方法がとられていることは全く知らなかつたのであり、しかも社会通念に照らして、国の税務職員が全国各地の多数の自治体の細かな処理手続まで了知していなければならないものではないから、本件において、柳葉職員の調査が不十分であつたとする原告の主張は失当である。
(五) 原告の戸籍の附票の調査に関する主張は、戸籍の附票の住所公証機能を誤解したことによるものであり失当である。
すなわち、戸籍の附票は、国民生活の多様化、広域化に伴つて生じた人口の流動化による本籍と住所との遊離状態に対応するため、住民票を補充ないし補完するものとして、本籍地において戸籍単位に編成され、住民票の記載を把握し、本籍、氏名、出生年月日及び続柄等を正しく住民票に反映することをその主たる使命とするもので、世間一般に広く周知されているものではなく住民票や戸籍のようにその謄本等が請求交付されることも極めて少なく、日常生活において個人の住所を調査、確認する場合においては、通常専ら住民票によつてなされるところであつて、戸籍の附票によつて個人の住所を調査、確認する社会的慣行は確立していない。
したがつて、柳葉職員が越谷市に赴いて住民票や地方税の課税状況等を調査したことは、個人の住居の調査、確認方法としては十分であつて、更に戸籍の附票までをも調査、確認しなければならないものではない。
しかして、柳葉職員は右調査のほか、原告宅の近隣における聞込み等の調査を尽くしたが、原告が旧住所地に復帰したことを窺わせる事情は見出されなかつたのであるから、かかることを予想してその旧住所地につき調査すべきであるとする原告の主張もまた失当である。
2 本件処分は次のとおり適法になされたものである。
(一) 原告は訴外石川から、昭和五四年一二月二三日二五〇万円、翌五五年一月一五日八〇〇万円の各金員の贈与を受けたが、右両年分の贈与税の確定申告をなさなかつたため、旧被告は、原告に対し、本件処分をなした。
原告は、訴外石川から昭和五四年二五〇万円、昭和五五年六五〇万円の各贈与を受けたことを自認しており、このうち昭和五四年分については本件処分に係る贈与額と全く同額であるから、原告の主張は理由がない。また、昭和五五年分については原告自身六五〇万円の贈与がなされたことは認めており、しかも、原告の主張自体によつても、原、被告双方の主張する贈与金額に大差のないことは明らかであるから、本件処分にはこれを無効とするほどの重大かつ明白な瑕疵は存在しないというべきである。
四 被告の主張に対する認否
被告の主張1記載の事実は知らない。主張は争う。2記載の事実のうち原告が訴外石川から二五〇万円及び六五〇万円の贈与を受けたこと及び原告が昭和五四年分、昭和五五年分の各贈与税の申告をしなかつたことは認め、その余は否認し、主張は争う。
第三証拠
当事者双方の証拠の提出、認否及び援用は本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
理由
一 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 そこで、まず、本件公示送達の適法性について判断する。
国税通則法一四条一項は、同法一二条の規定により送達すべき書類について、その送達を受けるべき者の住所及び居所が明らかでない場合には、税務署長その他の行政機関の長は、その送達に代えて公示送達をすることができる旨規定しているが、右の送達を受けるべき者の住所及び居所が明らかでない場合とは、およそ考え得るあらゆる方法による調査を尽くしてもその者の住所及び居所が判明しない場合をいうのではなく、課税庁に対して通常期待し得べき方法による調査を実施してもその者の住所及び居所が知れない場合をいうものと解するのが相当である。
本件についてこれをみるに、昭和五七年二月五日の時点で原告が旧越谷の住所に居住していなかつたことは当事者間に争いがなく、右事実に成立に争いのない甲第一〇ないし第一二号証、乙第一、第二号証、証人松元弘文の証言をあわせると、原告は昭和五五年一月から同五七年二月ごろにかけて旧越谷の住所と西ケ原の住所との間で転居、転出入をくり返していたこと、柳葉職員は、昭和五七年二月五日原告に対し贈与税の申告をなすよう指導すべくその住民登録上の住所地であり、かつ、本件不動産の所在地である旧越谷の住所所在の原告宅に赴いたが、同宅には水道給水停止の張り紙があり、原告は同所に居住していなかつたこと、そこで同日、原告宅の近隣の佐々木嘉義宅、山田長利宅等に赴いて原告の転居先などを聴取したが、いずれからも原告の所在は判明しなかつたこと、更に同日、越谷市役所に赴き、原告の住民登録原票を調査したが住民登録上は越谷の住所のままで転出届はなされていなかつたこと、そこで同市役所において市民税と固定資産税の課税及び納付状況について調査したが、いずれも課税事績はないとの回答を得たのみで、転居先は判明しなかつたこと、更に同月一八日、越谷郵便局に赴き転居届の有無を確認したが、転居届はなされておらず、原告宛の郵便物は配達不能となり発信者に返送したことが判明したこと、また同日、原告宅の所属する町内会の前年及び当時の各班長に面会して調査したところ、原告は昭和五六年一〇月ころ転居し、転居先は不明であつたこと、また原告には中学生の子供がいたことが判明したため、同日、学区内である平方中学校に赴き、同校の教務主任に「奈良」姓の生徒の在校の有無を確認したが該当者はなかつたこと、更に同日、越谷警察署せんげん台派出所に赴いて調査したが転居先は不明であつたこと、また、越谷、松伏水道企業団に対し、原告の水道料金の払込状況や転居先の調査をしたが、水道料の未払はなく、転居先も不明であつたこと、そのため旧被告は原告の住所及び居所が明らかでないとして、国税通則法一四条一項に基づき公示送達の手続をなしたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。
右の事実によれば、越谷税務署の担当職員は、近隣や町内会への聞きあわせ、住民登録の調査、固定資産税関係の調査、郵便局の転出届関係調査、子供の通学校の調査、所轄警察署への聞き合せ、水道局調査と、通常考えられる調査手段を尽くして原告の転居先を捜索したのであるが、原告が転出届や郵便局への転居届の手続を経ていなかつたため、ついにその転居先を把握しえなかつたものであり、かかる手段を尽くしても原告の住所及び居所が判明しなかつた以上、これは通常期待し得べき方法による調査を実施しても知れない場合に該当すると認めるのが相当である。したがつて旧被告において本件処分の通知を公示送達に付した点に違法はないというべきである。
原告は、昭和五六年度の固定資産税納税通知書が越谷市長名で原告の転居先に送付されたとして、同市長は原告の転居先を把握していたのであるから、旧被告においても当然これを了知し得べき状況にあつたと主張する。
昭和五六年度の右通知書が西ケ原の住所に送付されたことは当事者間に争いなく、この事実と成立に争いのない甲第八、第九号証によれば、越谷市の昭和五六年度固定資産税納税通知書が西ケ原の住所の原告宛てに送付され、昭和五七年二月八日付で右税が納付されたことが認められるが、他方、前掲乙第二号証及び証人松元弘文の証言によると越谷市における固定資産税課税台帳は、コンピユーターにより住民登録の住民コード番号を使用して記帳されていること、同市の昭和五六年度固定資産税課税台帳の作成は、同年一月から二月にかけて行われたが、この際、原告は同年一月六日にその住所を旧越谷の住所から西ケ原の住所とする転出届を出していたため、原告は西ケ原の住所を住所とするものとして処理され、納税通知書も西ケ原の住所に送付されたこと、原告は同年二月二二日に西ケ原の住所から旧越谷の住所に再転入する転入届を出したが、越谷市における事務処理上は「西ケ原の奈良豊子」と「越谷の奈良豊子」とは別人として取り扱われており、柳葉職員の原告の課税事績の調査に際しても、「越谷の奈良豊子」の課税事績はないものとして回答したものであることが認められ、右認定を左右する証拠はない。
右事実によれば、越谷市長においても、原告の転居先を把握したうえで、納税通知書を送付したものということはできず、また柳葉職員が課税事績の調査を行つた際、原告に対する課税事績はないとの同市の回答を得たのみで、更に同市の課税台帳の作成方法にまで遡つて調査を行わなかつたことをもつて課税庁として通常期待される程度の方法による調査を怠つたものということはできない。したがつて、この点についての原告の右主張もまた理由がない。
原告は、住民登録原票を当たれば原告の本籍が判明するので、本籍地に照会して戸籍の附票を調査すれば、原告の子供の住所の記載から原告の転居先を容易に知り得たところ、被告はその調査を怠つたから、原告の所在を確認するにつき社会通念に照らして課税庁として通常期待される程度の調査方法を欠いたものであると主張する。
しかし、戸籍の附票とは住民登録と戸籍との間における基本的な記載事項に矛盾がないようにするために設けられているもので、本来人の居住関係を登録することを目的として作成されるものではないから、人の居住関係について、住民基本台帳以外に戸籍の附票まで調査しなければ、通常期待される調査を尽くしたとはいえないということはできず、原告の右主張は理由がない。
また、原告は旧被告が原告の旧越谷の住所附近の住民に照会すれば原告の転居先は判明したはずであるとして隣家の山田宅に実家の住所と電話番号を知らせておいたと主張するが、右の事実を認めるに足りる証拠はなく、かえつて前認定の事実によれば、柳葉職員は右山田氏にも聞きあわせたが何ら情報を得られなかつたというのであるから原告の右主張もまた理由がない。
三 次に本件処分において旧被告の認定した贈与額の適否について判断する。
1 本件処分は原告が本件不動産の購入に際して、訴外石川から昭和五四年一二月二三日二五〇万円の、昭和五五年一月一五日八〇〇万円の各贈与を受けたとしてなされたものであるところ、原告が本件不動産の購入に際して訴外石川から昭和五四年一二月二三日二五〇万円の贈与を受けたこと及び原告が昭和五四年分贈与税について申告しなかつたことは当事者間に争いがないので、本件訴えのうち昭和五四年分贈与税決定処分及び無申告加算税賦課決定処分の無効確認を求める部分に原告主張の無効事由のないことは明らかといわねばならない。
2 次に、原告が本件不動産の購入に際して、訴外石川から昭和五五年一月一五日に贈与を受けた金額については六五〇万円の限度で当事者間に争いがないが、原告は右贈与額は被告の主張する八〇〇万円ではなく、六五〇万円にすぎないものであると主張するので、この点について判断する。
前掲乙第一号証、成立に争いのない甲第一ないし第五号証、第一七号証、乙第三号証の三、四(原本の存在とも)、証人松元弘文の証言により成立の認められる乙第三号証の一、二(原本の存在とも)、第四号証及び同証人の証言によると、原告は昭和五四年一二月二三日訴外昭和開発株式会社(以下「訴外会社」という。)から代金一三五〇万円で本件不動産を購入取得したこと(原告が本件不動産を購入取得したことは当事者間に争いがない。)、右代金支払方法は、同日手付金として二五〇万円、昭和五五年一月一五日までに八〇〇万円、所有権移転登記手続の完了と同時に残金三〇〇万円を支払うこととされていたところ、原告は訴外会社に対し、右代金として昭和五四年一二月二三日現金で二五〇万円を支払い、次に昭和五五年一月一五日訴外武蔵野銀行幸手支店(以下「訴外銀行」という。)振出の額面八〇〇万円の小切手を交付し、更に同年二月三日現金で三〇〇万円を支払い右代金を完済したこと、右小切手は、昭和五五年一月一四日、訴外石川が訴外銀行の自己の普通預金口座から当座預金口座へ八〇〇万円を振替え、これにより、訴外銀行は訴外石川に額面八〇〇万円の自己宛小切手を振出交付したものであることがそれぞれ認められ、乙第四号証のうち右認定に反する部分は前掲甲第一七号証に照らし採用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
右事実によると、原告は昭和五五年一月一五日訴外石川から額面八〇〇万円の訴外銀行振出の自己宛小切手の交付を受けたこと及び右八〇〇万円のうち六五〇万円は、前記争いのない贈与にかかる金員であることがそれぞれ認められる。
そこで、右八〇〇万円から六五〇万円を控除した一五〇万円については、原告がこれを訴外石川に返還しているかどうかが問題となるが、成立に争いのない甲第六号証の一ないし一〇及び第七号証によると、原告は、昭和五四年一二月二〇日訴外佐藤礼子から一五〇万円を借り受け、また昭和五五年二月一日定額郵便貯金等から合計二四二万一五四一円の支払を受けたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はないが、本件全証拠によるも、原告がこれらの金員から一五〇万円を訴外石川に支払つたことを認めるに足りる証拠はなく、そうであるとすれば、結局原告は昭和五五年一月一五日訴外石川から八〇〇万円の贈与を受けたものといわざるを得ない。
のみならず、仮に原告が主張するように当時原告が訴外石川に対し一五〇万円を返還したとしても、前認定の事実関係のもとでは、旧被告の贈与金額の誤認は外形上、客観的に明白なものではないから、本件処分を無効ならしめる瑕疵にあたらないことはいうまでもない。
原告が昭和五五年分贈与税について申告しなかつたことは当事者間に争いがないので、以上によれば、本件訴えのうち昭和五五年分贈与税決定処分及び無申告加算税賦課決定処分の無効確認を求める部分もまた理由がないことに帰する。
四 以上の次第であるから、原告の本訴請求はいずれも理由がないものとして棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 時岡泰 裁判官 中込秀樹 裁判官 金子順一)
物件目録
一 所在 越谷市大字平方字会ノ川
地番 一〇八番一四
地目 宅地
地積 五九・六〇平方メートル
一 所在 同所一〇八番地一四
家屋番号 一〇八番一四
種類 居宅
構造 木造セメント瓦亜鉛メツキ鋼板葺二階建
床面積 一階 四四・一八平方メートル
二階 二五・六七平方メートル
以上